球界を彩った外国人選手 タフィー・ローズ編

球界を彩った外国人選手 タフィー・ローズ編

長い歴史があるプロ野球では、これまでにたくさんの外国人選手が活躍しました。

とんでもない記録を残した選手もいれば、乱闘を繰り返す外国人もいたなど、まさに三者三様です。

このブログでは、不定期で球界を彩った外国人選手を紹介します。今回は、タフィー・ローズ選手です。

近鉄バファローズ・読売ジャイアンツなどで活躍したタフィー・ローズ選手。

誰もがマネをする特徴的なバッティングフォームは、これからも語り継がれることでしょう。

今回は、そんなタフィー・ローズ選手を振り返っていきます。

タフィー・ローズ選手とは?

タフィー・ローズ選手は、アメリカ出身のプロ野球選手です。

高校を卒業した後、メジャーリーグの複数球団を渡り歩き、1996年から近鉄バファローズでプレーをしました。

来日一年目から27本の本塁打を放つなど、圧倒的な適応力を発揮。打率も.293を記録するなど、1年目とは思えない成績を残したのです。

その後も毎年のように20本塁打以上を放ち、1999年には40本塁打を記録!あっという間にスタープレイヤーとして君臨しました。

そして2001年は、当時の本塁打記録であった55本塁打を記録するなど、まさに伝説の外国人として活躍したのです。

2001年は中村紀洋選手とのコンビが有名となり、チームの優勝に貢献しました。

巨人へ移籍

2003年にも51本塁打を記録するなど、素晴らしい成績を残したローズ選手でしたが、条件面が折り合わず巨人へ移籍することとなりました。

移籍初年度は45本の本塁打を放つものの、DHのないセリーグでは守備の脆さが露呈。さらに、コーチとのトラブルが発生するなど、巨人ではうまく馴染めなかったようです。

結果、この年は大きく成績を落としてしまい、戦力外通告を受けてしまいました。

オリックス復帰

その後1年間のブランクを経て、ローズ選手は再びオリックスに帰ってきました。

さすがにもう厳しいのではないかと考えられていましたが、いきなり42本塁打を記録するなど、さすがの結果を残しました。

その後も2年間オリックスで活躍しましたが、2009年は怪我の影響により出場機会が減少。それでも一定の成績は残しましたが、その年限りでオリックスを退団。

そして、NPBでのプレー生活を終えました。

終わりに

今回は、タフィー・ローズ選手のこれまでを振り返ってみました。

400本塁打を放った唯一の外国人選手である、タフィー・ローズ選手。彼の偉大さは今後も語り継がれることでしょう!