メジャー帰りで活躍した男|斎藤隆選手編

メジャー帰りで活躍した男|斎藤隆選手編

現代のプロ野球では、メジャーリーグに挑戦する選手の数も増えてきました。

現在はコロナの影響もあり、なかなか思うように移籍できない状態ではあるものの、これからまた増加する可能性が高くなりそうです。

これまでメジャーリーグに挑戦した後、再び日本球界に復帰して、活躍した選手も数多くいます。

今回は、そんなメジャー帰りで活躍した選手を紹介します。今回は、斎藤隆選手です。

長年にわたって一線級で活躍した斎藤選手は、どのような野球人生を歩んでいたのでしょうか。

大学から投手転向という異例さ

斎藤選手は、東北の名門である東北福祉大学に在籍していました。

投手として大活躍をした斎藤選手でしたが、なんと大学から投手に転向したのです。

例えば、同じく日米で活躍した上原選手は、高校から野球を始めたと言われています。

開始が遅いにもかかわらず、ここまでの一流選手になれるのは本当に才能があるのでしょうね。

あっという間に代表クラスにまで成長すると、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)にドラフト1位で入団しました。

横浜では苦しい日々

大きな期待のなかで入団した斎藤選手は、2年目から25試合以上に先発として登板するなど、試合で投げる機会は数多くありました。

しかし、10勝しても10敗することが多く、なかなか貯金を作ることができなかったのです。

また、最多奪三振を記録するなどもある一方、被本塁打も非常に多い状態でした。

ただ、横浜が優勝した1998年は13勝5敗の大活躍。

その後、中継ぎに転換したり怪我をしたりなど様々あるなか、メジャーに移籍します。

メジャーでの開花

横浜時代の晩年は少し厳しい状態でしたが、メジャーリーグに移籍した斎藤選手は、横浜時代以上の活躍を果たします。

毎年のように50試合以上に登板し、防御率は2点代を記録。

まさにメジャーに行って大活躍した選手の1例と言えるでしょう。

メジャーで7年間在籍し、338試合に登板する素晴らしい実績を残しました。

その後、斎藤選手は東北楽天に移籍し、日本球界に復帰。

2013年は中継ぎとして大活躍し、初めての優勝をもたらしました。

斎藤選手の功績は今でも強く残っており、まさにレジェンドと言えるでしょう。

終わりに

今回は、「メジャー帰りで活躍した男|斎藤隆選手編」と題してお送りしました。

メジャー帰りではなかなか活躍できないこともありますが、斎藤選手は例外です。

メジャーで成績を残したうえで、日本球界でも活躍を残す選手が増えるといいですね!