あの大投手を振り返る|杉内俊哉選手編(前編)

あの大投手を振り返る|杉内俊哉選手編(前編)

長い歴史を誇るプロ野球では、後世にも語り継がれる選手がたくさん登場しました。

これまででもたくさんの選手を紹介してきましたが、今回は杉内俊哉選手を取り上げたいと思います。

貴重な左腕として活躍し、現在は読売ジャイアンツでのコーチも務められている杉内さん。

今でも多くの記事で掲載されるある事件や、大偉業を果たしたことなど、幅広く紹介していきます。

社会人からプロ入り

杉内選手は、鹿児島の名門校である鹿児島実業高等学校の出身です。

甲子園に出場した経験もあり、さらにノーヒットノーランを達成したこともあるなど、高校時代からすでに卓越した野球センスを持っていたようですね。

しかし、その後すぐにプロ入りを果たしたわけではなく、三菱重工長崎に就職をします。

社会人に進学した後も野球を続け、シドニーオリンピックでは代表に選ばれたこともあるなど、常に注目を集める選手となっていました。

その活躍ぶりもあり、2001年に当時のダイエーホークスから指名を受け、プロ入りを果たすのです。

2年目からの活躍・事件

1年目こそプロの壁にぶち当たり、思ったような成績は残せませんでしたが、2年目からいきなり10勝を挙げる活躍を果たします。

このままエース街道まっしぐらと期待されていた中、杉内選手はある事件を起こすのです。

2004年のある試合で、早々にノックアウトされてしまった杉内選手。

自分に対する怒りが抑えられなかったのか、なんとベンチにある椅子を殴打。

結果、この出来事がきっかけで手の付け根を骨折してしまい、長期での離脱を余儀なくされてしまったのです。

この行動には、流石の王監督も苦言を呈したという話があります。

それぐらい勝負に対して熱い気持ちを持っているからこそ、出てしまった行動だったと言えるのでしょう。

沢村賞投手に成長

そんな杉内選手は、骨折をした2004年シーズンは活躍することができませんでした。

しかし、その悔しさをバネにしたのか、2005年は18勝を記録する大活躍を見せました。

また、奪三振の数が非常に多いことも特徴的で、この年はなんと218を記録。

決してストレートが格段に速いわけではないものの、緩急をうまく使うピッチングはまさに左投手のお手本と言えるようなものになっていたのです。

続きは次回

今回は、「あの大投手を振り返る|杉内俊哉選手編(前編)」と題してお送りしました。

杉内選手はプロとしてのキャリアが長いこともあり、1回で収めることはできなかったため、次回もご覧ください!